【 #俺からの虹色レター 】僕を救ってくれたのは31歳の、一人のお姉さん
こんばんは、AstonGTです。
今回投稿させていただいた俺からの虹色ラブレターに送らさせて頂いた原稿のお話をちょっとだけさせて頂こうと思います。
あんまり明るい話じゃないですかお付き合いください。
僕ってアイドルマスターに出会うまで、なんていうかこう
何でもない人間だったんですよね、
もっと言うと人に誇れることも、何もないような人間でした。
クルマも好きだったけど、もっと入れ込んでる人はたくさんいるし、自分よりもすごい人というのは幾らでもいる。
それで他人と比べ無きゃ良いんだけど、色んな挫折を味わった結果どんどん完璧主義になっていって、それでまた挫折を味わっての悪循環にずっと陥っていた時期がありました。
自分自身の居場所を見つけられず、本当に自尊心が死んでいた。
鏡で自分の顔が見られなくなった。外に出るのが怖くて玄関で震えたこと、自分の姿が嫌で思いっきり鏡を殴ったこともある。
世間でたまに「無敵の人」と呼ばれる人が居るけど、多分あのままだったら自分はそうなってたし、いつでもああなってしまう可能性は孕んでると思う、実際高校の時の自分がそのまま大きくなったような人間を一度見てしまったし、
でも礼子さんが居てくれたおかげでアイドルマスターに出会った。
元々オトナな女性が好きで、アイドルゲームは当時μ'sが解散前だったのもあってそういう印象が強い中で
「アイマスには31歳がいる」と誘いを受けて礼子さんに出会ったのがきっかけで僕はプロデューサーになりました。
大学生になるまでは「ただのソシャゲ」って感じで遊んでたんですが、
総選挙活動などをやるようになり、俺達の少女Aなんかにも出ていくうちに
高橋礼子担当Pがあまりにもいないことや、少女Aなんかで色んな人から評価を頂くうちに自分の自尊心というものをどんどん得られるようになっていったんですよね、
コミケには合同誌だって頒布したし
少女Aがあったから、今のアルバイトだってやってみようと思ったし
そういう過程の中で喋る能力を身に着けることもあったし
合同誌の頒布は就活のネタでも使ったし、
担当プロダクションを作って色んな人を引っ張ったり
企画を立てたりしながら本当にいろんな能力をその趣味の世界で付けました。
そうやって、現実の世界にもかなりリンクしてもう戻れないぐらいのものを貰ってるんですよね、
それもこれも全部「高橋礼子さんが好き」という感情があったからで
そしてその思いが自分自身のプライドにもなって、
一回Pをやめたことがあっても
「自分がやらなきゃ誰がやる」と、そうやって結果的に戻ってくることが出来ました。
当然企画の主催者、勧めてくれた友人、
感謝しなきゃいけない人は数多くいます、たくさんいます
だけど、一番最初に言いたいのは高橋礼子さんなんです。
自分の今の意思が持ててるのはそういう恩返しの思いもかなり強いです。
何もかもを僕にくれたアナタに、僕を救ってくれたアナタに、恩返しがしたかった。
そういう思いが今年の総選挙前にすごく強かったんですよね
で、実際に迎えた総選挙で
こんな事を言われてしまったんですよね、
これを見た時、もうなんか何が何だか分からなくなって、訳も分からずに泣いてしまって数時間床で寝込んだのを覚えています。
総選挙ってものに疲れてしまってたのも正直あります、その矢先にこんなことを言われてしまったんですよ
そもそも総選挙で戦うの向いてないなって思うとき結構あって
SSRも出てない、どうやって勝負していいかすら分からない
だけど勝ちたい、負けたく無い、
でも戦うのは苦しいし痛い
でも戦うのは、武器を取れるのは自分しかいない
そして最も強く動けるのは他でもなく自分だしそれが一つのプライドとして成り立ってる
そんな中で、「ありがとう、もう休んでいいよ」
って言われてしまったような気がしたんです。
どうしても伝えたいことがあったのに、伝えられる時間が足りなかった。
先に言われてしまった。
「僕もそう思ってますよ」なんてそんな陳腐に終われる思いじゃなかった。
伝えたかった言葉がばらばらに砕けたような気がしました。
画像に使ったびりびりに引き裂いた紙はなんというか、そんな思いが出てるんだと思います。
でもこれを作ったことによってすごく気分的に軽くなったというか、凄い楽になれました。だからまだ頑張ろうって今は思えています。
僕は高橋礼子PのAstonGTなので